「新設の医科大学に赴任して」;桐医会報(筑波大学医学同窓会会報)より
東北医科薬科大学医学部 医化学教室
教授 森口 尚
この度は桐医会会報寄稿の機会をいただき、森戸直記先生をはじめお声をかけてくださった先生方、誠にありがとうございました。まだ駆け出しですが、医学専門学群を卒業後、筑波大学整形外科、基礎医学系大学院、ミシガン大学、東北大学、そして現職の東北医科薬科大学と移ってきましたので、これまでの遍歴をご報告したいと思います。
私は平成6年に医学専門学群を卒業した後、筑波大学整形外科に入局いたしました。同期の赤荻、細川の両君と3人で、大学附属病院整形外科のたくさんの入院患者を診ることは大変でしたが、それまでの人生の中でもいちばん多くのことを学んだ日々でした。レジデント1年目に結婚したのですが、忙しさにかまけて結婚式を挙げていなかったところ、当時チーフレジデントだった坂根正孝先生が中心となって、整形外科病棟のみんなで結婚式を企画してくださったことには、いまでも深く感謝しております。整形外科は手術手技の研鑽が重要な診療分野だと思います。一方私は、当時大学院生だった尾登誠先生から、骨肉腫の化学療法やリウマチなど自己免疫疾患の分子生物学的知見を学んだことが深く印象に残り、その後、私が分子生物学・生化学的など基礎研究に傾倒していくきっかけになったと思います。その後、卒後3年目の茨城西南医療センター病院にて、村松俊樹先生と2人で忙しく整形外科臨床に奔走していたころ、ある飲み会の席で当時大学院生だった上杉雅文先生から、“薬理研究室で実験やっているから見に来ない?”と誘われたことが人生のターニングポイントになりました。
当時の筑波大学薬理研究室は桜井武先生と柳沢正史先生によるオレキシン発見の論文が発表される直前で、ラボミーティングでは毎週のように新発見が報告されるエキサイティングな日々にありました。研究室には世代の近い大学院生が多く、活気にあふれていました。私は研究の世界に飛び込みたい衝動を抑えきれず、整形外科研修を離れて薬理研究室に参加し、大学院生として桜井先生のグループで研究生活をスタートさせることになりました。当時、大学院生の先輩に山中章弘君(現名古屋大学教授)がいて、実験経験のなかった私にいろいろと手ほどきをしてくれました。桜井先生はよく「動物個体に還元できる分子生物学」ということを言っていました。これはvitroで見つけた分子生物学的現象でも、vivoでの生命現象につながることを証明してこそ意味のある発見となる、ということだと思います。今でも私の中の大きな原則の一つです。大学院生として最初のころに手がけた実験は失敗の連続でしたが、どうにかなるだろうと楽天的に構えていました。桜井先生がいろいろとアイデアを出してきてくれて、私はその実験に取り組む中で、研究に対する考え方や基本的な実験技術を身につけていきました。そのうち、ある小さな実験がうまくいって、小さな知見が得られて、大学院2年の時に小さな論文を発表することができました。このときの嬉しさは、脳裏に深く焼きついて、今でも研究生活を送る原動力になっています。その後、学内での共同研究がきっかけで、筑波大学先端学際領域研究(TARA)センターにいらした山本雅之先生の研究室に加わることになりました。
山本先生は遺伝子の発現制御が専門で、簡単に言うと、ある特定の遺伝子が、ある特定の組織・細胞でスイッチオンになるメカニズムを追究していました。私もオレキシン遺伝子が視床下部の特定の細胞だけでスイッチオンになるメカニズムに興味を持っていたので、山本先生の研究室でオレキシン遺伝子の発現制御研究を続けることになりました。山本先生も「動物個体に還元できる分子生物学」に重きをおいていて、トランスジェニックマウスやノックアウトマウスなどの遺伝子改変動物を自由自在に作成・樹立して、興味深い研究を展開していました。私にとっては、当時の筑波大学のなかで最もアクティビティーの高い研究室2つに所属し大学院生生活を送れたことは、非常に幸運だったと思います。私はオレキシン遺伝子の研究を続けながら、遺伝子のスイッチのオン・オフを切り換える転写因子という分子に興味を持つようになりました。転写因子は非常に多彩な機能をもっていて、ある細胞の分化運命を決めたり、ビタミンやステロイドホルモンやさまざまな化学物質などの作用を遺伝子に伝える役割を持っていたりします。環境毒物のダイオキシンはダイオキシン受容体という転写因子に結合して、毒性を発揮します。ところがこのダイオキシン受容体は、マウスやヒトなど哺乳動物種間でも分子構造が大きく異なるため、実験動物とヒトでは環境毒物に対する感受性や生体への影響が大きく異なると考えられていました。そこで、私はマウスのダイオキシン受容体遺伝子をヒト型ダイオキシン受容体遺伝子に置き換えたマウスを作成し、つくばの国立環境研究所と共同研究で、このマウスがヒトのダイオキシン感受性に近似した反応を示すことを発表しました。この仕事は初めてプレスリリースにもなり、思い出に残っております。大学院を卒業し学位を取得したあとも研究を続けたいと思っていたところ、山本雅之先生の研究室から独立した高橋智先生が声をかけて下さいました。2年間、高橋研で研究生活を送り(H14-H15)、遺伝子改変マウスの作製技術を徹底的に叩き込まれたことが、その後の私の研究生活の財産となりました。
アメリカのミシガン大学での3年半の留学期間を経て、東北大学医学系研究科に移られていた山本雅之先生の研究室(医化学分野)にて、H19〜H27まで助教〜講師をしておりました。東北大学では、整備された研究環境を享受して充実した研究生活を送っていました。その後、東日本大震災後の東北地方復興と医療過疎改善の目的で、H28より東北医科薬科大学医学部が新設され、医化学教室の責任者として赴任いたしました。新設の医科大では医学部第1期生を受け入れて、教育と研究を開始するための準備を最初から立ち上げることに奔走してきました。本年度、開学3年目にして教育研究棟(教員オフィスとラボスペース)が完成しました。筑波大学、ミシガン大学、そして東北大学で学んだ経験をもとに、より良い研究・教育に向かってこれからいよいよ頑張っていくぞ、という心境です。
ゲノム科学の進歩とともに、自分たちが生化学・分子生物学的に研究していた分子が、ヒト疾患に直結していたり、創薬のターゲットになったりと、急速な進展を目の当たりにしてきました。今後も、動物個体に還元できる分子生物学を念頭に、臨床と関連付けられる基礎研究、基礎医学教育を行っていきたいと思っております。卒業後24年間、臨床・研究・教育に取り組んできた出発点は、筑波大学医学専門学群での6年の日々にありました。自分の様々な考え方の基本が、あの医学生時代に学んだことの中から発していると感じます。医学部の6年間がその後の人生に与える影響の大きさに配慮しつつ、医学生の教育に取り組んでいきたいと思います。
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